大人のるる休み

そこそこ大人、中身は子供、時々オヤジ「るる」のずる休み推進日記です。

試験が終わりました

民間経験者枠の公務員試験が終わりました。

結果ですか。

 

ちょっと笑ってしまうくらい

ボロッボロでした。

ちゃんと正解まで辿り着いたのは1割くらいでしょうか。ほんとに身の程知らずを痛感しまして。こんなん、受かる人がいるのか?!て本気で思いました。

 

そもそも民間経験者枠の勉強内容は自治体によるけれど、だいたい高卒レベルのものだとどの予備校でも予測していて、なによりその甘さが露呈した気がしました。

予備校が悪いと言ってるわけではなく、高卒レベルの問題は約10ヶ月かけて、ヒーヒー言いながらもそれなりにそれなりな勉強をしてきたつもりでした。

でしたが、試験を解きながら

「あれ、私がやってきた勉強の範囲はそもそも根本的に間違っていたのではないか」という波に襲われました。

実際のところ、腐れ短大しか卒業してない私はセンター試験も経験せず、論文と成績表だけで推薦入学しました。

一度センター試験の苦節を乗り越えた方々なら高卒レベルはすんなり入れて、さらに上のレベルを勉強する能力が潜在的に備わっているのだろう、そこをすっ飛ばした私は足下にも及ばないのではないか。皆と同じ土俵で相撲をしていない。

それくらい勉強したことの論点がズレていたような気がしました。時間をかけて勉強すればいいってもんじゃない。勉強する内容が追い付いていなければ、いくらやっても掴みとれない。

その現実に試験開始わずか30分でぶち当たりました。

 

簡単に言えば、コクゴ国語、英語、時事、数学ってな感じの試験です。大卒公務員試験と比較すると教科が格段に少なくてかなり楽です。楽なはずなんです。

中でも数学が肝になるので、時間のかからない時事と国語、英語をさっさと済まして数学に取り掛かる手筈だったのですが、自信のあった時事問題の時点で、やってきた勉強に対しての激しい違和感を感じました。

細かい数字や言葉の暗記に囚われていましたが、全くそういうことではない!と頬をビンタされたような気持ちになりました。

 

あーもうこれ、わたし、恥ずかしいくらいお呼びでないわ。

そっからはあまりおぼえてないのですが、超マイペースでぼんやり試験を行うことになり、半分近い問題は勘です。答えは正確に導きだしておりません。問題もサラと見ただけで解読には至ってません。

 

ここまで勉強レベルの違いを見てしまうと

あと何年受験しても無理だろう、諦めよう

と、純粋に思ってしまい、全く悔しい気持ちにならず

「あー、早く帰りたい」になっちゃって。

中学校のとき、テストが始まって名前を書いた瞬間から寝てしまうクラスメートの気持ちがわかりました。

今年は完敗、撃沈です。私の実力では公務員試験は一生かかっても無理だと思います。

 

が、ね。

だがね。

帰宅して、試験問題を片付けていると

「今年は基礎を勉強したんだ。来年こそ応用で大卒レベルの勉強をしてもいいんじゃないか」

と、闘志が(欲が)出てきたわけです。


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こんなにまだやってない大卒参考書が山積みで、これを一年コツコツやれば、もしかしたら一年後にはそれなりな結果を残せるかもしれない。

そう思えました。

だって大人になってから、こんなに苦手なことばかりを毎日こなして、仕事と全く関係のない内容を勉強して、中学生以来、奥底にしまいこんでた数学脳を、無理矢理引っ張り出すなんて、もう一生ないだろう。

 

そして、思いの外、勉強自体が楽しかったという事実もあります。めんどくさかったけど、苦痛ではなかった。

 

1年間の勉強がほんとうにムダだったのかどうかを判断するのは、来年でもいいじゃないか!

 

ということで、ボチボチ来年に向けて勉強始めたいと思います。

あと、自分の子供には高校生になったら

大学いかなくてもいい、専門学校でも就職でもいい。でも、でも

センター試験に向けて勉強だけは必ずやりなさい

と教えてあげたい。

 

 

母の潜在能力を思い知る

試験勉強をするにあたり、英語を学ばなければならない。

高校時代まで英語はどちらかといえば苦手ではなかった。

まあ、英語はちょろっと勉強すれば試験本番にはどうにかなるだろうと思っていたが、模試を受けて撃沈。正答率は20%ほどで、足元にも及ばなかった。

あれ、こんなに忘れているものか・・・・・。しかし数学で時間を取られ、時事問題で暗記に脳みそをジワジワと追い立てられている今、英語を自力で勉強する力が残っていない。

ヤマかけをすべき教科ではない。

 

母に英語の教師をお願いした。

母は、若いころヨーロッパに留学経験がある。

私たち兄弟が子供のころは、近所の子供たちを集めて英語教室も開いていた。

力を借りないわけにはいかない。

参考書はこちら。

 

速読英単語1必修編[改訂第6版]

速読英単語1必修編[改訂第6版]

 

 この本は大学入試や公務員試験の参考書として使用されるとのこと。まあ、私も高校時代は英語は必修としてやっていたわけだし、これを制覇することくらいできるだろうと思った。

現在、朝の8時から9時半まで、徒歩5分の母の家へ行き教えてもらっている。

現在5分の1程度まで進んだが。

全然わからない。普通に難しいけど・・・。

高校の時の自信は藻屑となって消え去った。真剣に母の授業を一字一句逃さぬようフルに脳みそを使って勉強しているが進めば進むほど、スピードは落ち、記憶力は大破する。

合計70例ほどの論文、物語、エピソードなどが盛り込まれた文章読解を目的とした参考書であるが、日に日についていけなくなる。

と、同時に母の英語能力には、娘ながら度肝を抜かれている。

いや、母くらいの英語力のある人は日本中どこにでもいるのだろう。

でも、24歳から専業主婦として生き、御年70歳を迎え、英語を使った仕事はおろか、日常会話でも英語を使用することはない母が、ここまで英語ができるとは思わなかった。

そして、「この単語、文章はよく試験でも出るものだから注意しなさい」のアドバイスが実に的確。本当に試験に出る。

「この単語はめったに使うことがないものだから飛ばしていい」このアドバイスも的確なのだ。

試験にでるものがわかっているってどういうこと?

むしろあんたこの50年近くこの能力を生かさず何をやってきたの?

 

 

そして、一つ一つの文章の内容についてよく知っている。

「このアガサクリステイの話は有名よね」「古代ヨーロッパの歴史の中で、これはね」

歴史認識や文学的なものまで知識が豊富で、余談がうまい。

 

わたしは、ずっとボケ老人に片足突っ込んだ天然ボケ老人などと母をからかってきたし、母も「あははは」なんて笑ってきた。

人間としての感覚は鈍ってきているだろうと思っていた。スマホも使えない、パソコンなんか触ったこともない。運転すらも危なっかしくて基本的にはさせない。

 

でも、母は私の想像をはるかに超えるものをたくさん持っている。

知識量が全然違う。スマホやネットで得る表面的な情報ではない。

 

そして、英語の授業のスパルタもすごい・・・一文を2分かかってただ音読しかできない私のポテンシャルとは比べ物にならない。

まさに速読。読んだだけで文章が頭に入ってくるのだろう。いちいち止まって考えることなどない。

スピードが速い速い。いや、よくそこまで頭切り返せますね。あんたほんとに70歳?

私の知っている天然ボケ老人はそこにはいないのだ。

 

自分の英語力の無さに驚くよりも母の英語・教育力に一番驚いている。

ちなみに、子供のころ、母が英語を教えてくれていた時期があったが、当時のスパルタっぷりも尋常じゃなくて、私は母から教えてもらう英語が大嫌いだった。

母との英語の時間はいつも泣いていたので、見かねた父が「もうやめなさい」と制止してくれたことで、母との英語教室は終わった。

これは兄弟全員が経験していることで、私よりも兄や姉はもっと英語が嫌いだ。

 

当時は当時なりに、母から英語を学ばなかったことには理由があるので、後悔はない。

 

ちなみに、母の若い頃のエピソードは面白い。

デンマークに住んでいる頃は、かの有名な「マリメッコ」でアルバイトをしていた。我が家にあるマリメッコの生地を見て「あら、懐かしい。変わらないわね~」と言ったときに初めて聞いた。

日本で有名になるウン十年も前、母はマリメッコの可愛い制服を着て、店頭に立っていたのだ。

また、日本に帰国した後は北欧の商品を輸入する会社で務めていた。今こそ北欧ブームでいろんなものが輸入されているが、当時は北欧の雑貨なんてだれも見向きもしていないころ。憧れのハワイ航路くらいか。

昔から家にあった何の気なしに(おままごとで使ったこともある)花瓶は、ガラスメーカー「iittala」のものだ。

iittalaのグラスは一度は見たことがあるだろう。

 

 

「お母さん、これiittalaのものなの?!40年以上前のものでしょ?プレミアだよ?」と興奮しながら言うと、「あら、当時は今よりずっと安かったのよ。ほら、ちょっとヒビ入ってるしね」という調子。

某大学の図書館で働いていた頃は、お金持ちのアフリカの国の大使館の人に気に入られちゃってプロポーズされたのよ、でもいやで逃げ回ってたら、偶然ほかの女性と腕組んで歩いてるのを見ちゃってホッとしたわ~という話。

 

この人の人生は、この閉鎖的な北海道の地で専業主婦として終結して

本当によかったのだろうか、と今更ながら憂いてしまう。

 

はてさて、私に残された時間もごくわずか。

母のスパルタ教育に感化されながら、あしたも頑張ります。

試験終わったら、うまいものご馳走しよ。

 

 

 

 

 

里親制度について考えてみる

大人になって、結婚したり、子供を持ったり、子供を望んだりする人にとって

「里親」になるということを一度は考えたことがある人は多いかもしれない。

 

私は、たまに考える。結構深く考える。

最近報道のテレビでも特集が組まれることが多いので見てしまうし

見過ごしても、YOUTUBEで調べればいくらでも出てくる。

 

実際、子育てをしている身としては自分が思う理想の母としてはほど遠いことが多々ある。自信があるわけではない。感情的に子供を叱ってしまうことも多い。

 

でも、周りの様々な人から「あなたの子供は幸せね」と言われたり

実際自分の子供を見て甘えてくるその姿を見ていると

「ああ、この子はきっと幸せな子だな」と感じる。

その後の人生はどうなるかは親にもさっぱりわからないが、幸せになってほしいと思って育てているんだから、きっと幸せになるだろう。そのひとつの希望だけで育てている。

 

そのような環境の中で「里親」にまつわる番組を見ていると、ずっと泣きっぱなしで観賞している状態になる。

そういうところが、まだまだ私には「里親」になるには難しいのかな、幼いのかなと思ってしまう瞬間でもある。泣いてばかりではなく真剣に考えれるようになるまでは「里親」について資格がないように思えてならない。

 

里親になるためには実際どのようなことを念頭に考えていかなければならないか具体的に考える。

 

ここで、自分の感情やポテンシャルはひとまず置いておいて。

まずは周りの理解。

夫を例えば説得できても、夫のご両親を説得できるだろうか。

今日まで息子には多大な時間とお金を消費してきてくれた。初孫で、まさに絵にかいたような理想の祖父母だ。孫とはこんなにかわいがるものか、と感動さえしてしまう。

 

が、血のつながらない赤ちゃんを突然連れて帰ってきて、「孫ですよ」と伝えたところで、頭ではわかっていても、果たして自分の血のつながった孫と同様に愛情を注いでくれるだろうか。どんなに素晴らしい人間であっても、本能的にそれができるかどうかわからない。

それに、成人したあと、例えば遺産相続の話になった時があるならば、その血族ではない兄弟は外されてしまうんだろうか。この家で育ってしまったがゆえに、大人になって兄弟格差が明白になった時にその子供はどうなってしまうんだろう。

 

法律の手続きではいろいろできることはあるだろうが、それ以前の問題だ。

実子がいる場合は、その差ができてしまったらどうしようという問題。

 

次に実際の収入の問題。

現在私の家族の収入では里子どころか実子も一人以上はなかなか厳しい。私が公務員試験を受ける理由のなかにこれもある。最低限、旦那が路頭に迷ったとしても、家族を養っていけるほどの収入は確保したいというのが正直なところ。そうならないことには何も始まらない。たとえ公務員になれなかったとしても、私の永遠のテーマである。

もし、私の収入がそれなりに希望がもてるものであれば「里子」への道もぐっと近くなる。

里子を得ることで、国から多少の補助金が出るようだが、それは一切手を付けず、学資保険や貯蓄に回して、生活は自分たちのやりくりで豊かであれば、それこそ祖父母の金銭的援助がなくてもその子供にお金を残してやることは可能になる。

多少強引なのかもしれないが「私が育てます!!!!」の極みだと思う。

 

そして、夫婦は離婚危機に瀕しないこともとても重要だ。愛情は愛情からしか生まれないと私は考えている。

「仲の悪い夫婦の子供は愛情不足」と言っているわけではないです。

私は家族は共同体だと思っているので

「相互愛を、同じくらい持っている関係」がいい家族だと思う。偏りはもちろんないほうがいい。

ただ、夫婦は何が起こるかわからない。子供のことを「消えてしまえ」と思うことは全くないが、夫については「消えればいいのに・・・」と思うことはまれーーに、いやたまに、うん、しばしば、ある、かもしれない。

その時点で私が提唱する「相互愛を、同じくらい」の原理は破たんしているのが現実。

それを思うと不安要素は、限りないものになる。だめだこりゃ。

 

あとは、実子の感情の問題。

実子がいる場合、実子は兄弟を今後どのような存在として見るのだろうか。歳は近いほうがいいのだろうか、それとも離れているほうがいいのだろうか。

年が離れているならば、じっくり話して「血のつながっていない兄弟ができる」ということを理解してもらってから迎え入れることも可能かもしれない。でも、それをペットを新しく飼ってくるのような感覚で捉えられては困る。小学生を超えてから、里子を迎え入れたとして、果たして周りの子供ように「兄弟」とすんなり受け入れる感覚を持ち合わせてくれるだろうか。

ならば、子供の年に差がないくらいの、あまり里子についてよくわからない時期だったとしたらどうなのか。まだ、自分も甘えたい盛りに、ある日突然現れた赤ん坊に嫉妬してそれこそ小学生くらいになった時に、兄弟げんかついでに「本当の子じゃないくせに!」などと口走ってしまわないだろうか。

 

今のすべては、自分のことではなく、自分の周りの問題について書いたが

自分の中の問題としてそっくりそのまま存在してる。

「実子と同じように同じような感情で育てることは、難しいことなのか」

「経済的に逼迫してしまうことがあったとしたら、もしかしたら疎ましくおもってしまうのだろうか」

「告知は、どのように行うべきか」

「自分は不妊なわけでもないのに里子をとるなんてことはエゴなのだろうか」

「実子がいる私には感情的にやはり難しいことなのだろうか」

「障害児を引き取ったならば、きちんと正面から立ち向かう勇気があるだろうか」

 

私の母は里親に育てられた。正確には親戚に、だけど。

当時母の実父が(つまり私の祖父に当たる人)若い時に病で倒れ、6人もの子供を育てることが困難になった祖母がそのうちの二人を養子に出した。

私の母は20歳を超えてからその事実を知った。その時はショックだったけど、まあ、なんてことない事実よね、と結局、実母も、養父も、養母も、みんなを看取った。

養父母の家庭もさほど裕福ではなかったらしいが、母は愛情深く育てられ、また学校過程においてもたいへん豊かに育てられた。東京の私立の高校・短大を経て、デンマークに語学留学もしている。養父母に育ててもらったおかげで、ほかの兄弟より幸せな人生を送っているのだ。

 

母のこんな人生を見ていると、凝り固まった考えやバックグラウンドを捨て

養父母のようにただひたむきに「家族となったものに一生懸命愛情をかけるのは本能」

と思えてくる。

 

テレビの特集をみて思うのは「子供が欲しい」という感情ではない。

「この子の一人にでも、家庭の愛情を与えたい」と思う。

施設にいることが不幸だと言っているのではない、別の幸せの選択肢として「里子」として幸せになる方法もあるということだ。

 

今、住んでいるところのすぐ近くに児童養護施設があって、息子を保育園に送り出した後、いつもその子供たちの姿をみながら通勤する。

どの子をみても幸せそうで、明るくて、身なりもきちんとしている。

毎日見ているが、可哀相に思えるような子は一人もいない。

だから、里親として引き取ることすべてが「善」とは決して思わない。引き取られた結果不幸になることもあり得るから。

 

冷静に考えてみたり、感情として考えてみたり、「里親」をテーマにした思いは結局のところまとまらない。ただ、泣いていれば抱っこしてあげたいし、眠れなければ添い寝して、悩んでいれば一緒に考えて、腹が減れば好きなものをたらふく食べさせてやりたい。愛情に枯渇していれば、愛情を体いっぱいにしてあげたい。その感情が揺さぶられてしまう。

 

私は、まだまだ、感情に揺らぐ未熟者だな。もっと自信を磨いてからじっくり考えていきたい。