作業ヘルメッターのおんな道

肉体労働系レディ(淑女)の徒然です。フリーランスで造園土木の作業員をしています。お仕事と酒があればどこでも飛んでいきます。酒飲み。日焼け上等!

公文はすごい

息子が公文を始めて4年になる。

私は公文を子供の頃していなかった。

ただ漠然と公文をしている子は頭がいいというイメージがあった。

 

公文はすごい。

4年も真面目にやっているともう「公文」は「苦悶」なのだ。

私が小学生の頃に公文に通っていた子はちっとも苦悶しているように見えなかったのに。

 

だからひたすら羨ましかった。たまにお祭りみたいなイベントがあって、そこで消しゴムやシャープペンをもらって帰ってくるのが羨ましかった。

友達と仲良く通うだけで頭が良くなり、景品まで貰える公文なんて羨望の塊だった。

 

息子は小学1年生のとき、まず二桁の引き算でつまずきかけた。

私が教えるのもいいのだが、子供の「解らない」は大人にとっては「何が解らないのか分からない」ということを思い知った。

勉強を教えてるうちに、互いにイライラしていつか「ママには質問したくない」になるのは経験上知っている。私は子供の時、親に勉強を教えてもらうのが大嫌いだった。

 

プロにまかせちゃおうということで1年生の夏休みから公文に通わせた。

 

正直言って息子がものすごく真面目にやっているのだ。

4年間ほぼ99%宿題をこなし唯一宿題をやらなかったのは沖縄旅行に行ったときくらいで、熱が出ても少しでも熱が下がれば公文の宿題をやる。しかし毎日ではない。公文の前日に3時間ほど集中して終わらすペースだ。多分やり方としては適正じゃないのかもしれないがとにかく絶対全部やる。

 

私はというと自分が全く物事が続かず面倒くさがり屋の質なので息子に強要することはできない。「溜めると明日全部やるの大変じゃないの?」と促すことはあるが「やりなさい」と叱ったことは一度もない。むしろ「何が君をそんなに公文に駆り立てるのだ?」と聞くことすらある。

 

レベルはどんどんあがる。公文式の鬼畜なレベル上げは親ですら同情してしまう。

息子自身そのレベル上げにしっかり順応できずに苦悶している。まさに苦悶している以外の言葉が見つからない。オブジェやらキーホルダーやらシャープペンやら私が子供の頃欲しかった公文の景品を次から次へと獲得し、羨望していた状況に我が息子が到達している。

しかし苦悶している。

「いつやめたっていいんだよ」と何度言ったか分からない。

「今日は宿題やらなくてもいいじゃん。」これも何度も言ってきた。

 

基本的に習い事は全て1年以内に辞めてきた息子、根性はあまり無い。

彼の中で公文は別物なのだ。行くときの足取りは重く「今日は行きたくない」と言う日は遠慮なく休ませてきた。けど休むとその分鬼畜な宿題が届く。

 

「塾とか行くくらいなら公文がいい」と息子は言うけど「そうかー?」と私は言う。

約2時間半ほどひたすら集中して問題を解き続けるより、なんとなく授業聞いてる風にしていればその日は終わる塾のほうがよくないか?塾にもよるんだろうけど・・・

 

公文はほんとにそれぞれの子供のペースに合わせるのでゆっくり進むこともできる。本人はそれも分かっている。宿題をこなさなくても嫌味の一つは言われるが叱られることはない。もし私なら半分くらいやってあとは「わかりませんでした〜」とヘラヘラするだろう。

 

さほど何にも情熱的になることがないマイペースな息子が公文にだけは駆り立てられる理由は一体なんだろう・・・・だから公文はすごいと思うのだ。あの賞状の紙切れがそうさせるのか、どこに飾ればいのか分からないオブジェがいいのか、重たくてつけるのを躊躇させてしまうキーホルダーに秘密があるのか。先生との相性もあると聞いた。教室内の雰囲気もきっとあるだろう。

 

ここ数年はコロナ対策で教室のドアを全開にし、窓を開放しているおかげで冬はコートを羽織ったまま学習している。北海道の吹雪の日でもこの状態なため修行僧のような環境だ。子供も先生たちにも尊敬しかない。話を聞いたこっちの心が折れた。

 

先日「ずっとやってる5年生の子達よりもレベル上にいったんだー」と嬉しそうにいうもんだから目一杯褒めたあと「でもなんで自分より上位にいた人たちを追い抜けるの?その子達も同じペースで進んでいたんでしょう?」と聞くと

「その子達は先生と友達みたいに仲良いからねー」というのだ。

 

「??? ・・・それでなんで君が先に進級できるの?」

 

「先生と仲がいいから、今日はやりたくない〜とか今日はこれ以上出来ない〜とかそいうのが通用するんだよ。じゃあ今日はここまでにしよっかって言われてその子達は帰ってる。」

4年も通っているが、人見知りレベル500%の息子は絶対に先生に弱音を吐けないのだ。

本当は他の子みたいに早く帰るのが羨ましくて仕方ないが人見知りが故に気持ちを伝えることが出来ずその結果鬼畜メニューもこなせる子になっているのだ。

先生からしたらめちゃくちゃ根性のある優等生に見えているのだろう。

ただ、本音が言えないだけなのに。

 

・・うーん・・・

君はとても偉いが、大人になったときちょっと苦労するかもしれないなと思ったが胸にそっとしまった。

 

いつか君が頑張ってきた時間が必ず形になる日がくるから安心するんだ、という言葉をかけることにしている。

っていうか二時間も三時間も小学生が集中して勉強してる環境ってそれがもう苦悶以外の何物でもないだろ、それが普通の光景ってすげーわ。将来のことも碌に考えていないその月齢でできることじゃねーよ!

わたしなら無理!!!

 

 

そう一言で片付けてしまうにはあまりにも公文に非礼だ。

 

 

公文教室の中で何が子どもたちを勉強に駆り立てるのか、息子に問いても、大人になってしまった私にはもう分からない世界なのかもしれない。公文はすごい。