作業ヘルメッターのおんな道

肉体労働系レディ(淑女)の徒然です。フリーランスで造園土木の作業員をしています。お仕事と酒があればどこでも飛んでいきます。酒飲み。日焼け上等!

独立を決めた

今年1月をもって独立を決めた。

といっても、やることは「起業届」の提出と仕事用の銀行口座を作ること。

それしかしていない。何も知識も無いし、先立つ仕事があるわけではない。

強く決心した訳でもないし、1年で辞めるかも(会社員に戻るかも)しれない。

それでいいし、それがいいと思った。

大きな目指すものも無い。「食えれ」ばいいと思ってる。

 

きっかけは細かく小さくあるものの、自分に「大丈夫か?」となりながらも結構楽しめる気がしている。楽しいを優先しようと思ってる。

 

私は前職は「現場代理人」をしていた。現場監督、みたいなものだろうか。

その仕事をするまでは、女で珍しいと思ったし、純粋にかっこいいと思った。

職種は造園。いままで園芸の知識はそれなりにあったが、造園は未経験だった。

造園業に就職が決まったときは37歳だった。

面接で「ちょっとデビューが遅いね」と言われたが採用された。すごく嬉しかった。

 

入社しても楽しかった。今まで欲しかった知識が色々な角度からどんどん入ってくる。

入社してからの第一条件が「施工管理1級」の資格を取ることだった。

その勉強も嬉しかった。本来なら、職業経験が8年無いと受験できないはずなのだが

その会社に入って、職務経歴などを「鉛筆なめなめ」することで、受験することが可能なのだ。作業系資格あるあるでしょう。実技試験が無いものなら勉強するだけで合格できる。

 

もちろん一発合格。余裕すら感じた。

 

晴れて、憧れの現場代理人デビューだ!自分が誇らしかった。

 

資格を取ったら途端に仕事をたくさん与えられた。嬉しかったけど、相当動揺した。

もう少し経験を積んでから与えられると思い込んでいた仕事が、次から次へと舞い込んでくる。もうすぐ四十路になろうかという女に世間は決して甘くない。

上司は助けてくれる。でもケツは拭かない。私とてミスを侵さないように慎重に仕事した。

きちんとした仕事をなんとか無理やり取り繕えば会社からの信用も上がる。

仕事は増える一方だ。何がなんだかわからない毎日が過ぎていく。

そうしてる間に、案外あっさり矛盾が生じてくる。

 

「私は素人なのだ・・・・」

業界のことを殆ど知らず、且つ実務経験が無い自分が代理人をしているのだ。

まず、工事の工程が分からない。工事仕様書を読み込んでも、イメージが湧かない。

工程がわからないということは、人工が組めない。人工が組めないということは時間工程が組めない。時間と人工が組めなければ見積もりが作れない。一番初めから何もできていない。

会社の人に丸投げすることはできない、みんな忙しい。絶対に自分でやるしかないのだ。

何度も絶望的な気持ちになっては、会社内の過去の書類を舐めるように調べて参考にする。これが一番大変だった。

実際工事に入ると、もちろん思うようには行かない。責められているわけでもないのにちょっとした作業員の言葉にいちいちネガティブになる。責められるときは一人で車の中で声を出して泣いた。

「わからない」を口に出すことは決して悪いことじゃない。それで助けてもらったこともある。知ったかぶりはしてこなかった。それ故相手の言うことを全て受け入れすぎてきた。

元請けや下請けの会社の人に「おいおい、こんなに何もできないやつをよこしてくるこの会社ってやばいだろ・・・」と思われるのも怖かった。私のせいで会社の評価が下がってしまったらどうしよう・・・といつも考えていた。「できない」は言えなかった。

 

御愛想だけで乗り切ってる自分が憎たらしかった。それで工事が完了するわけがない。自分のスタンスは業種のやり方とは逆進している気がした。

 

私はどこに向かっていて、何がしたいんだろう・・・

 

2年で退職を決めた。ものすごく会社から止められた。仕事を辞めるときにこんなに止められたのは初めてだった。理由はわかっていた。

どうやら政令指定都市は、女性を現場代理人に据えている会社には工事入札時の点数をプラスしてくれるらしい。女性活躍推進事業ってやつだ。

わたしはポイント稼ぎとして有益な存在なのだ。

こんな事業が存在するから、女はむしろ仕事が出来ないんじゃないかとすら思った。

実力が伴わない女性をただ持ち上げて、社会貢献している顔をさせている。本当にデキる女性というのは推進しなくても活躍するのだ。

 

会社を退職したが、業種は辞めたくなかった。

でも、他社に転職してもまた同じことになるような気がした。

 

私は、実務経験を積みたい。作業員をやりたい。自分の手で工事を経験したい。

気がついたら40歳。代理人デビューよりも、作業員として苦しい年齢になっていた。

作業員としてどこかの会社に入ることは厳しいと思った。

 

無職の間、ちょこちょこ仕事をもらった。昔から知っている造園会社から日雇いで仕事をもらったり、花屋さんの販売員、大きい現場の作業員、人が足りないところからの声がけが思いの外多かった。自分の経験が役に立つもの・自分が初めて着手するもの。スポットではあるが様々な仕事をさせてもらうことができた。

 

スポットでも、人手が足りないところに呼んでもらえる仕事ができればwin-winなんじゃないか。経験者じゃなくても、とにかく人力でできる仕事であれば私は喜んで飛んでいく。未経験の仕事であればなお嬉しい。たくさんではないが、自分一人で食っていける程度にはネットワークはあるな。

 

実際、土木造園業界の会社は人手不足が深刻だ。

低賃金で高齢化。新しい人を雇用する元気が会社にない。

季節労働や派遣労働として雇っても、やる気がある人は一握り。派遣会社に高いマージンを払って、使い捨ての足切り

 

私がスポットで入ったとしても、いわゆる使い捨て要員だろう。

私としたらそれは好都合なのだ。使い捨てでいい、いろんな現場に使い捨て要員として使ってくれたら嬉しい。私はとにかく様々な業種の「現場」を経験したいのだ。

もし、その日の仕事を認めてくれたらまた使い捨ての現場に呼んでほしい。

 

長らく付き合いのある造園会社の人に言われた。

「経験が無い人よりも、やる気が無い人の方が迷惑。同じ一日にお金を払うなら、僕は馬力とやる気が溢れているあなたと仕事がしたい」

 

私の職種は「助っ人業」にしようと決めた。

きっと将来私はなにかの一流になることは無い。常に三流の道を歩いていく。

最終目標はまたいつかどこかで「会社員」。「会社員」になるために独立をする。

もっと堂々と「会社員」ができるような人間になる。

知識と経験をカバンに詰めてからもう一度どこかできちんと会社員をやりたい。

 

不思議だけど、これが今の私が独立を決心した動機だ。

逃げてるんだか、立ち向かってるんだか分からない。

 

ただこの動機を大切にしたい私がいる。

 

私よ、私はもう若くないが、なんでもできるぞ、なんでもやったれ。