作業ヘルメッターのおんな道

肉体労働系レディ(淑女)の徒然です。フリーランスで造園土木の作業員をしています。お仕事と酒があればどこでも飛んでいきます。酒飲み。日焼け上等!

出会いに関する意見の相違

人との新しい出会い、大切にしていますか?

夫とそんな会話になり、結論として私は「出会いは精察すべき」、夫は「全ての出会いを大切にするべき」という意見で割れた。これは年齢と性別と立場によって考え方が異なるので正解はないと思う。私は、「出会いは精察すべき」どころか「精察することすらも労力を使う可能性があるからむしろ消極的であるべきだ」くらいまで思っている。

20代の頃は「出会いは大いに大切にすべきだ」という考え方だった。いい人にも悪い人にもたくさん出会ってきたけれど、悪い出会いもポジティブであるべきという考えだった。なぜかというと、自分にとって一番大切なものは「経験」で、「いい経験」も「悪い経験」も自分の血肉となり、それが私を創ると思っていたから。「経験」は必ず「出会う人」を経由している。嫌なことはたくさんあったけれど、まだ心が未熟すぎて「悪意」というものに鈍感だったのもある。あくまで「自分」が未熟であるが故に悪いことが起こってしまっているんだという自己肯定感の低さもあった。謎の「この人にだって必ず良いところはあるはず。私がそれを見つけていないだけ」という優しさまで持っていた。

その考え方に少しずつ綻びが出てきたのは30代。「出会い方によってはこちらの想像を超えた悪い経験を他人によって与えられることがある」ということが分かってきた。

この頃くらいから「近づかないほうがいい人」を自分の中で分けるようになった。本能以外、精察する術がないのでそれでも避けきれない「嫌な出会いによる、悪い経験」は多々ある。成熟してきたためか「ちょっと嫌」程度のことでも人を遠ざけるようになってきた。年齢が進めば進むほど、他人に対して寛容になるのかと思いこんできたが、今はむしろその逆だと思っている。警戒心も強くなるし、許容できないことを受け入れることは昔より出来ない。「寛容」にも範囲と程度がある。

40代に突入した現在。完全に意識して人との出会いを持っていこうと思う。この基準は「私にとって不快な人」一点に絞られている。実害云々ではない。経験上での私の答えだ。他の人から観たら「彼はいい人だよ」ということであっても自分にとっては不快な人、単純にウマが合わない人とは付き合わない。ウマが合わない人とは何をどうしても駄目と決めつけている。「たくさん接していけばその気持は変わる」「昔は嫌いだったけど今は親友だ」というのは分かる。しかし、私はそれを捨てていく覚悟だ。その毒をお互いに詰めて解いていくということ自体が時間と労力の無駄だと思うのだ。リスクだってある。そして極力向こうからすり寄ってくる人を避ける。自分から仲良くなりたいと思う人だけいいご縁と捉えることにしている。特に仕事をする上ではこの感性はとても大事にしていきたい。哀しいかな人生に「出会わなければよかった人」は存在する。

 

こんな話を夫にしたら「これから独立してやっていく人が、そんな考えじゃ仕事なくなっちゃうよ。」と言われた。そうかもしれない。でも、そうだとするならば、単純に私は独立する才能が無かっただけだと諦めればいい、それだけ。人生まるごと変わってしまうようなことではない。しかし、出会いによっては人生まるごと変わってしまうことがあるのだ。

仕事は「やりたい仕事」も「やりたくない仕事」もしていかなければいけないが、「嫌な人と一緒に、やりたい仕事」と「嫌な人と一緒に、やりたくない仕事」も存在していて私はこの場合は両方やらない。嫌な人と仕事をするとやりたい仕事が嫌いになる可能性が非常に高い。であれば自分の中のベスト「好きな人と、やりたい仕事」もしくは「好きな人と、やりたくない仕事」であれば「やりたくない仕事」に対する柔軟性があがる。先程と可能性と真逆になり、やりたくない→やってもいいに変貌を遂げるパワーがある。パフォーマンス爆上がりだ。それくらい人間関係の精察は重要だと思っている。

ところで夫は昔の私の考えそのままなので、それはそれで尊重している。人の話は警戒せず、すぐ鵜呑みにしてしまう。全ての出会いは財産で、聞ける話は宝石なのだろう。

やはりというべきか、たまに「おい、それ騙されちゃってるよ」みたいなことを嬉々として話してくることもある。その他者に対する警戒心のなさが彼の魅力とも言えるので、否定せずニヤニヤして聞くことにしている。つい「いいんじゃない?その話。乗ってみれば?まあ、私なら絶対に乗らないけどね。」なんて意地悪を言ってしまう。わたしこそ嫌な女。夫にとってわたしは「出会わなければよかった人」に堂々ランクインするのではないか。警戒心の無さが私のような女を寄せつけるのだ。夫婦としては、そうしてバランスが取れているからまあいいか。